「大切なのは、どれだけ多くのことをしたかではなく、どれだけ心をこめて行えたかです。」
― マザー・テレサ

忙しさの中で、気づけば「もっと頑張らなきゃ」「成果を出さなきゃ」って思ってしまうこと、ありませんか?
私自身、そんなふうに感じることがよくあります。

でも、マザー・テレサのこの言葉に出会ったとき、ふと立ち止まりたくなりました。

“それは、心をこめてできたことだったかな?”

たくさんのことをこなすより、
ひとつひとつに気持ちを添えることのほうが、
ずっと人の心に残るのかもしれません。

マザー・テレサの生涯と、”心をこめる”という生き方

マザー・テレサ(1910–1997)

1910年、マザー・テレサは現在の北マケドニアに生まれました。
18歳でアイルランドのロレト修道女会に入り、「テレサ」という修道名を得て、1931年にインドへ。

カルカッタの聖マリア学院では、地理と歴史を教える教師として、上流階級の女子教育に携わっていました。
ユーモアのある授業は生徒たちにも人気で、1944年には校長も務めました。

けれどその目は、いつも街の片隅にいる貧しい人々に向けられていたのです。

1946年、黙想の旅の途中、彼女は“もっとも貧しい人々の間で働くように”という啓示を受けたと語っています。

スラム街の中へ、自らの足で

1948年、教皇ピウス12世の特別許可を得て、テレサは修道院を離れます。
白いサリーとサンダル姿でスラム街に入り、チョーク1本で始めたのは、路上の子どもたちへの授業でした。

やがて教え子たちが彼女のもとに戻り、ボランティアが集まり、寄付が届き始めます。

「神の愛の宣教者会」の設立と“死を待つ人々の家”

1950年、「神の愛の宣教者会」がバチカンに認可されます。
その目的は、「飢えた人、裸の人、家のない人、体の不自由な人、病気の人、必要とされることのないすべての人、愛されていない人、誰からも世話されない人のために働く」こと。

テレサはインド政府から譲り受けたヒンドゥー教の廃寺院をホスピスに改修。
「死を待つ人々の家」では、患者の宗教を尊重しながら、最期の時間に寄り添いました。

ヒンドゥー教徒にはガンジス川の水を、
イスラム教徒にはクルアーンを読んで。

どんな人にも、最後まで「その人らしく」生きてほしい――それがテレサの想いでした。

世界へ広がる“心のケア”

宣教活動はインド全土、やがて南米、アフリカ、欧米へ。
1965年以降は世界規模となり、修道士会や信徒会も次々と誕生します。

1979年、ノーベル平和賞を受賞した際も、テレサはこう語りました。

「私のための晩餐会は不要です。その費用を貧しい人々に。」
「このお金で、いくつのパンが買えますか?」

マザー・テレサの生涯と活動


18歳で修道女となり、1931年にインドに赴く。
インド・コルカタで貧困と病に苦しむ人々に出会います。
やがて「神の愛の宣教者会」を設立し、生涯にわたり困難な状況にある人々のために尽くしました。

1952年には「死を待つ人の家」を開設し、
路上で命を落としそうな人々に、尊厳ある最期と、静かな愛を注ぎました。

「この世で最大の不幸は、誰からも必要とされていないと感じることです」

彼女が届けていたのは、物質以上のもの…
「あなたは大切な存在です」という無言のまなざしだったのです。

「心をこめる」とは? ― 本当の意味を考える

「心をこめて」と聞くと、ちょっとむずかしく感じることがあるかもしれません。
でも、それって、意外ととても自然なことなのかもしれません。

たとえば…
誰かのことを思いながら、そっとお茶をいれるとき。
「ありがとう」と名前を呼んで伝えるとき。
ちょっと面倒だなと思いながらも、やっぱり手を伸ばしてあげたいと思ったとき。

そんな何気ない瞬間に、私たちはもう「心をこめる」という行動をしているのかもしれません。

マザー・テレサは、こう語っています。

「愛とは、大きな愛情をもって、小さなことをすること。」

たとえばこんな日常の場面にも、心をそっと添えることができます。

  • 忙しい朝でも、笑顔で「いってらっしゃい」と伝える
  • 料理を作りながら「おいしいって思ってくれるかな」と思う
  • スマホを置いて、相手の目を見て話を聞く
心をこめるとは?日常の小さな行動に宿るぬくもり、自分も満たされる素敵な行動

不思議ですよね。
誰かのために心をこめたはずなのに、
気づけば自分の心もそっと満たされていたりする。

「心をこめる」って、誰かを思いやると同時に、
自分にもやさしくなる行動なのかもしれません。

量より、心の深さを ― マザー・テレサの哲学

マザー・テレサの活動は、大きなイベントや華やかな演説ではありませんでした。
ただ、目の前のひとりに向き合うことの連続。

「大きなことはできないかもしれない。でも、小さなことを大きな愛で行うことは、誰にでもできる」

その信念があったからこそ、彼女は世界中の人々の心に響く存在になったのです。

まとめ|心をこめるという選択が、日常を変える

マザー・テレサは、数えきれないほどの人に手を差し伸べました。
けれど彼女の本当のすごさは、たった一人にも全力の愛を注ぎ続けたこと

私たちの毎日も、そんなふうに変えられるのかもしれません。

たくさんのことはできなくても、
今日という一日に、ひとつでも「心をこめた瞬間」があれば…
それは、きっと小さな奇跡です。